古田重然(東軍)

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ふりがなふるたしげてる
生誕生年不詳
死没元和元年(1615)
領地戦前不明 3千石
領地戦後1万3千石
合戦当時の年齢不詳

重定の子。古田織部の名で知られている。はじめ織田信長・豊臣秀吉に仕え、天正12年(1584)以降、小牧、九州、小田原の諸戦に参陣。文禄、慶長の役にも出陣。関ケ原の役には東軍に属し、戦後、行賞として1万石加増。
元和元年(1615)、大坂の陣の直前、重然が茶道の門弟宗喜らと共に豊臣方と内応し、京都二条城で挙兵する計画が発覚。
戦後、この内通を理由に自刃を命ぜられ、自殺。重然は千利休の門に学ぶ高弟で、茶道の宗匠となる。
織部焼の創始者としても名高い。