松平忠吉(東軍)

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ふりがなまつだいらただよし
生誕天正8年(1580)
死没慶長12年(1607)
領地戦前武蔵忍10万石
領地戦後尾張清洲62万石
合戦当時の年齢21才

幼名を忠康。家康の四男。
天正10年(1582)、松平家忠が没し跡継がなかったため東条松平を継いだ。
文禄元年、武蔵国忍城主となる。
徳川四天王の1人、井伊直政は忠吉の岳父にあたる。
初陣となった関ケ原の決戦では、先陣正則を抜け駆けし、戦いの火ぶたを切った。小西・宇喜多などと激しく戦った。島津軍中央突破退却を開始するや、これを追って島津兵と格闘し負傷。なおも追撃せんとするも、家康に止められる。
尾張清洲城主となるが、7年後、江戸芝浦に没する。

陣跡位置図


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