大谷吉継(西軍)

otani.gif
ふりがなおおたによしつぐ
生誕永禄2年(1559)
死没慶長5年(1600)自刃
領地戦前越前敦賀5万石
領地戦後領地没収
合戦当時の年齢42才

大友宗麟の家臣、大谷盛治の子といわれるが不詳。はじめ秀吉の小姓として仕える。賤ケ嶽、小田原、朝鮮の役で活躍した。天正15年(1587)の九州平定の際は、三成と共に兵站奉行を務める。三成とは少年の頃から心を許し合う仲であった。
難病を患い終生苦悩した。
関ケ原の合戦では最後部にて中山道の防備に当たる。くずれた顔を白布で包み輿に乗って、大谷諸隊をまとめ、藤堂、京極らと戦う。
よく東軍を退けたが、小早川以下脇坂らの反応軍に襲われ全滅。
西軍武将の中で唯一、自刃した。

陣跡位置図


より大きな地図で 陣跡MAP を表示