島津豊久(西軍)

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ふりがなしまづとよひさ
生誕元亀元年(1570)
死没慶長5年(1600)
領地戦前日向佐土原2万8千6百石
領地戦後領地没収
合戦当時の年齢31才

中務少輔家久の子。
義久、義弘(惟新)の甥。
文禄元年(1592)朝鮮の役には高橋秋月等と出動。
関ケ原の合戦には伯父義弘からの呼び掛けに応じ、西軍に参加。
本戦では島津隊の先手を務めた。
西軍敗色が濃くなった時、豊久は家老阿多長寿院盛淳と共に、主将義弘を守り全軍一丸となって敵中突破を敢行し退路を見いだした。
伊勢路に逃れようとするが、本多・松平・井伊隊など東軍各隊の猛追撃を受けて、関ケ原南端烏頭坂に於いて瀕死の重傷を負い、その後自刃。

陣跡位置図


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