毛利秀元(傍観軍)

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ふりがなもうりひでもと
生誕天正7年(1579)
死没慶安3年(1650)
領地戦前周防長門20万石
領地戦後周防長門37万石
合戦当時の年齢22才

毛利元就の孫。 天正20年(1592)、主家毛利輝元の養子となり、朝鮮出兵の際は、総大将輝元に代わり指揮を取る。
生まれつき剛勇で、基盤の上に人を立たせて持ち上げるほど力持ちだったと言う。
関ケ原合戦では、大坂城の輝元に代わり毛利軍の大将として、南宮山に陣を構えるが、重臣吉川広家が家康に通じていたため、傍観して兵を動かす事はなかった。
この後、徳川方の策略にかかり、大大名から外様大名に転落したため、終生広家と徳川を恨んだ。