小早川秀秋(反応軍)

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ふりがなこばやかわひであき
生誕天正10年(1582)
死没慶長7年(1602)
領地戦前筑前名島36万石
領地戦後二年後狂死
合戦当時の年齢19才

木下家定の5男。3才の時、秀吉の養子となる。金吾中納言と呼ばれた。
文禄3年(1594)、秀頼誕生に伴い、小早川隆景の養子となり秀秋と称した。
関ケ原の合戦では叔母である北政所から大恩ある内府に逆らわぬようにと言われていたが、西軍に加担せざるをえず伏見城攻撃から美濃に進出。松尾山の頂に陣取る。
数時間は意を決せず傍観したが、正午過ぎ家康に促され、大谷隊をつき西軍敗北の原因をつくる。 賞として備前美作51万石を受けたが、2年後狂死したという。

陣跡位置図


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