合戦の経過

午前8時「開戦」東軍福島隊が宇喜多隊に発砲、戦端が開かれる

午前8時「開戦」東軍福島隊が宇喜多隊に発砲、戦端が開かれる
当日、関ケ原は濃霧に包まれていました。午前8時頃霧も晴れ、徐々に西軍の旗指物が見え始めました。これを見て東軍の井伊隊が宇喜多隊に向けて攻撃するとともに、福島隊も宇喜多隊に発砲し戦端の火蓋が切られました。同時に東軍が岡山烽火場より戦闘開始の狼煙を上げました。

午前9時?10時「乱戦」優勢決まらず、両軍激戦を重ねる

午前9時?10時「乱戦」優勢決まらず、両軍激戦を重ねる
戦闘が開始され、両軍の優劣ははっきりせず石田隊と黒田・細川・加藤隊、大谷隊と藤堂・京極隊、特に宇喜多隊と福島隊は激戦を重ねていました。この間、黒田隊の攻撃により石田隊の島左近が負傷、更に東軍の度重なる波状攻撃を受けましたが、石田隊は大砲により応戦したため、東軍の前線も押し戻されました。

午前11時「背反」西軍小早川隊の背反

午前11時「背反」西軍小早川隊の背反
西軍の予想以上の善戦により、東軍は押され気味となりました。家康は桃配山より、前線の陣場野に陣を移しましたが、戦況は好転しません。戦況有利と見た三成は、松尾山の小早川、南宮山の毛利に向けて総攻撃の狼煙を上げました。しかし、吉川隊は家康と内通しており、毛利隊の参戦を阻みました。同じく家康と内通していた小早川隊も応じませんでした。

正午?午後1時「崩壊」小早川隊の裏切りで西軍崩壊

正午?午後1時「崩壊」小早川隊の裏切りで西軍崩壊
正午になっても勝敗は決しません。西軍の反撃も激しくなってきたため、家康は、松尾山の小早川隊に向けて、催促の一斉射撃を行いました。それに反応し、遂に小早川隊は大谷隊に攻撃を開始しました。小早川隊の裏切りにより西軍は浮き足立ち、大谷隊もなんとか持ちこたえたものの、脇坂隊らも加わることにより遂に敗れ、吉継はその場で自害しました。

午後2時?午後3時「敗走」ついに石田隊も敗走、島津隊は、家康の本陣前を突破し脱出

午後2時?午後3時「敗走」ついに石田隊も敗走、島津隊は、家康の本陣前を突破し脱出
大谷隊が敗れ、東軍の総攻撃を受け、宇喜多隊、小西隊も崩れました。西軍の諸隊が敗走する中、石田隊は頑強に東軍と抗戦していましたが、圧倒的な東軍に、遂に石田隊が北国街道方面へ敗走し、戦いはついに決着しました。 島津隊は、自ら攻撃を加えることもなく自陣に近づくものは打ち払うという姿勢で合戦に参戦していました。西軍総崩れとなり、最終的に残った島津隊は、家康の本陣前を突破し、東軍の諸隊を振り切る形で、牧田を経て伊勢街道方面に脱出しました。